昼前にジャララバードにつきました。2002年に通過した同じ道路はすっかり良く
なり、全線舗装されていました。
カブールからの道中、なにも危険を感じず、チェックポイントもノーチェックで
した。前日ガイドが「何も心配いらない」といっていたのですが半分信じられず
緊張していました。
しかし、警戒するのには超したことはありません。十分用心します。
午後からジャララバードの西に1時間ほどにあるパキスタンからの帰還難民のチャ
ムタラキャンプに行ってきました。
西の彼方には雪を抱いた山々が聳え冷たい風がキャンプに吹いてきます。砂漠と
言っても石がごろごろした土漠です。草木一本も生えていません。延々とキャン
プが続いていました。その数は正確にはわかりませんが1千人以上が住んでいる
と言います。
彼等は二年前までパキスタン・ペシャワールのカチャガリーキャンプにいた人た
ちです。帰還政策でアフガニスタンに戻りましたが、当初のキャンプは政府が公
園を作る事になって追い出され、あらたに政府が提供した代替えの土地は砂漠の
ど真ん中でした。他に行くところがない人々はここに土と石とビニールシートで
小屋を造りキャンプを始めました。すでに一年が過ぎ、お金のある人は自分の土
地を石積みの塀で囲み,家を建て始めていますが、まだ、多くの人は石と土の粗
末な小屋に住んでいます。
2日に一度、給水タンク車が来ます。1家族二〇リットルの給水では食事をまかな
い洗濯するのが精一杯。足りなくなことの方が多いのです。
ちなみに、イラク駐留の米兵には一人飲用の水が1日二リットルが目安で支給さ
れていました。この計算で行くと10人家族では飲用だけで終わってしまいます。
冬の寒さをしのぐ暖房器具はありませんでした。もちろん電気は来ていません。
夏は四〇度を超す日が連日続くところです。どうやって暑さをしのいだのでしょ
うか?想像に絶する過酷な生活です。
私が訪ねた地域では男たちが集まってきて口々に、国連や政府は何もしてくれな
い。外国からの援助は自分の懐に入れて肥え太ってしまった。腐敗した政府を怒っ
ています。
それでも、人々は生きてゆかなければならず、少しずつお金を貯めて家を建て始
めています。人々の懸命な努力とエネルギーには頭が下がります。
2009年12月27日
ジャララバード通信2
posted by M at 18:52| アフガニスタン