
佐久間さんは住民とともに闘いが始まった時からずっと一緒に闘ってきました。
無欲な人でした。ただひたすらゲート前に座り込んでいました。支援の人が誰もいない時でもずっと。
誰に指図されるでもなく、ずっと座り込んでいました。
道行く人には分け隔てなく,大きな声で挨拶を交わしていました。
防衛局の役人にも、ヘリパッド工事に来た労働者にも「お疲れさん」と。
そして、闘いの結末を見ずに逝ってしまいました。
私の新刊写真集「沖縄 高江 やんばるで生きる」の


79ページと81ページに佐久間さんの写真を掲載させていただきました。本が病室に届いたときには意識がなく見て貰うことが出来ませんでした。
写真集が出来てきっと喜んで貰えると思っていたのですが残念です。

住民の会の事務所で支援者から肩もみをしてもらってご満悦の佐久間さん。(2012年1月)

村の外れのにある高江から東村役場のある平良(タイラ)でヘリパッド建設反対を道行く人にひとりで訴えていた佐久間さん(2012年8月)

ゲート前で24時間監視用のトレーラーハウス。山甕(ヤマガメ)の厳さんが作ってくれた。(2009年11月)

お気に入りのトレーラーハウス(2009年11月)

大型台風襲来の前日、厳さんがトレーラーを安全なところに移動させた。(2010年8月)
佐久間さん 天国で私たちを見守っていてくださいね。
合掌。